サムの備忘録

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メギドの支配者層の墓が発見

現在のイスラエル北部に位置する古代カナンの都市国家メギド(テル・エル・ムテセリム)で、王家のものとみられる墓が発見された。

natgeo.nikkeibp.co.jp終末を意味する「ハルマゲドン」は、「メギドの丘」(Har-Meggido)という意味のヘブライ語だ。このハルマゲドンの地においては、歴史的な戦いが幾度も繰り広げられてきた。記録上では、紀元前15世紀前半のトトメス3世による進軍がメギド最古の戦いであるが、このときにエジプトはカナンを併合した。

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発見された墓は、紀元前1700~1600年頃のものであり、エジプトに併合される前のカナンの全盛時代のものだ。墓には、8~10歳の子ども・30代半ばの女性・40~60歳の男性とみられる3人の遺体が埋葬されており、遺体は指輪・ブローチ・腕輪・飾りピンなどの宝飾品で飾られていた。墓は王宮のすぐそばに位置していたことも考慮すると、かなり位の高い人々の墓と考えられるという。

 

また、3人の遺体が埋葬される前に、同じ場所に別の遺体が埋葬されていたことも明らかになった。つまり、埋葬が2回行われていたのである。1回目の埋葬では少なくとも6人が埋葬されたと推測されているが、2回目の埋葬の際、その6人の遺体は墓の奥に押しやられたと思われる。なお、2回目に埋葬された3人の遺体が身に着けていた宝飾品は、墓の奥にある骨の山からも見つかっているため、2つのグループの人々は社会的に近い関係にあったようだ。

 

さらに、2つのグループの遺骨を分析したところ、両方のグループから骨や血液の遺伝的な異常を示す証拠が見つかった。このことから、両グループは血縁関係にあったと推測される。

 

今回の発見は、メギドの支配者層の出自を解明するための手掛かりにもなるかもしれない。ちなみに、メギド王はフルリ語の「ビリディア」という名を持っているため、メギドの支配者層はフルリ人と深い関係性があるものと考えられている。王族以外のものも含めて、メギドで出土した遺骨のDNA解析が完了すれば、フルリ人がカナンの都市建設において果たした役割も明らかになるかもしれない。