サムの備忘録

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古代田川と卑弥呼の関係

田川古代史フォーラム「古代田川の隠された歴史」で、「神功皇后紀を読む会」を主宰する福永晋三氏は、記紀に登場する神々が田川に実在した王であったとの自説を披露した。また、赤村の前方後円墳型の丘陵を卑弥呼の墓とする新説も飛び出した。 

www.nishinippon.co.jp福永氏の講演前半では、素戔嗚尊筑豊地域の王として君臨していたが、饒速日尊の侵略を受け、「天岩屋戸」の岩屋鍾乳洞で滅んだという説が語られた。後半では、「邪馬台国田川説」が唱えられた。

 

奈良とは比較にならないほど、北部九州からは弥生時代の鉄剣が多数出土しており、魏志倭人伝の「倭人は鉄のやじりを使う」とする記述を裏付けると主張。赤村近辺には日本書紀にある地名や記述に合致点が多く、土器片も出土していることなどを挙げ、女王卑弥呼の墓「箸墓」があった可能性についても示した。

 

箸墓古墳は、奈良県桜井市箸中にある古墳で、倭迹迹日百襲姫命の墓とされている。箸中古墳群の盟主的古墳であり、築造は3世紀中頃から後半とする説が有力になっている。

 

なお、日本書紀にある「大坂に継ぎ登れる石群を手ごしに越さば越しかてむかも」という歌の「登れる」という表現は、奈良県箸墓古墳と地理に合わないと見る記紀歌謡研究者は少なくない。このことから福永氏は、「大坂に継ぎ登れる石群」とは、豊前国大坂から登ったところにある「御所ケ谷神籠石」(行橋市)を指し、本物の箸墓は赤村内田の巨大前方後円墳型地形であるかもしれないと考えている。

 

 

さらに、崇神天皇紀には「倭国大乱」に似た状況が記されているので、倭迹迹日姫が卑弥呼に当たり、箸墓は卑弥呼の墓であるとも考えられる。その場合、赤村の巨大古墳型地形が卑弥呼の墓であってもおかしくない。