サムの備忘録

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古代エルサレムの劇場

動乱期の古代エルサレムに建設されていたローマ様式の劇場が、

嘆きの壁の発掘中に見つかった。エルサレムでローマ様式の

公共施設が発掘されるのは初めて。

natgeo.nikkeibp.co.jp

神殿の丘に続く石橋「ウィルソン・アーチ」の年代を特定するため、

今回の発掘は開始された。以前、アーチの下では器や硬貨などの遺物

が見つかっていたが、劇場が丸ごと発掘されたことには考古学者たちも

驚きを隠せなかったとのことである。

 

発掘された劇場に対して、マグネス氏は、「完全な閉鎖空間にあり、

とても小さいが、とても立派な劇場だ」と説明する。

 

この建造物の建築材として用いられた石の年代を調べた結果、西暦2世紀に

建設された可能性が高いという。また、収容人数200人ほどの比較的小さな

劇場だったとみられ、収容人数の少なさから、「オデオン」と呼ばれる

小さな音楽ホール、あるいは「ブーレウテリオン」と呼ばれる会議場だった

のではないかと研究者たちは推測している。

 

今回の発見は、ローマ帝国支配下エルサレムの暮らしに関する記録を

裏付ける、物的証拠でもある。古代ローマの植民地「アエリア・カピトリナ」

としてエルサレムが再建された時代に、この劇場は関連しているという。

 

なお、考古学者らは、この建造物は未使用で放棄された可能性が高いと

考えている。その理由は、切断するための印が刻まれているにも関わらず、

切断されなかった石や石を切り出していない階段が複数あるためだ。

 

また、イスラエル考古学庁は、劇場が完成しなかった理由として、

ユダヤ人が蜂起した「バル・コクバの乱」の鎮圧に資源が流用された

ためではないかと予想している。ちなみに、アエリア・カピトリナに

ユダヤ人が住むことは、ローマ皇帝ハドリアヌスが禁止していた。